第1520話 ドイツの病院

2025年10月27日

第53部-瀬戸の過去-

t f B! P L
瀬戸「メディカルスクール
(アメリカの医大)を出て・・・
在学中にUSMLE終わって
日本に帰る予定だったが
メディカルスクールの
先生からドイツの病院を紹介されてな。

紹介受けて面接だけで採用された。
病院に入って少ししてから
カナダ、フランス、イギリス、ベトナム
と派遣されてきた。

だいたい3か月。
それからドイツに戻って今に至ってる」

野田「・・・おい。終わらせるなよ。
さすがに簡略過ぎやろ」

瀬戸「あんまり言いたくなくてな。
自慢してるようにとられてまうからな」

野田「自慢じゃない。あれは苦労や。
瀬戸は受け止めて一緒に傷ついた。
しなくてもいい苦労をしてきた。下から
這い上がってきたお前の強さは特別や」

瀬戸「お前は見てきてたからな・・・
まぁいい。野田が正しいか。俺が話しても
お前らがどう受け止めるのかは勝手や。
自慢していると思えばそれはそれでいい」

先に読者に説明をしておく。
日本の医学教育は6年だが
アメリカの医学教育は4年。

日本は医大卒業後に医師国家試験に
合格すれば医者になれるがアメリカは
USMLE(アメリカの医師免許)を
3段階に取得していく必要がある。

優秀な人でも在学中に2まで合格し
卒業してから3~6年の間で3の最終試験を
終わらせるが瀬戸は在学中に最終試験に合格していた。

このままでは日本で医師として働けないが、日本の大学に
生き直さず、医師国家試験予備試験に合格すれば
日本の医師免許は発行される。瀬戸は受けていない。

又、日本の医学部を卒業して医師になる方が難しい。

瀬戸さんは話を続けた。

瀬戸「俺が大学を出た22才・・・」

メディカルスクールの先生がドイツの病院を推薦してくれた。
どこで働いても一緒だったから・・・そのまま受けて入った。
そしてドイツの病院で研修生として働くことになった。

ドイツ語はメディカルスクールで勉強し
ある程度は会話は聞き取れ話しはできるが・・・
日本人っていうだけで周りから馬鹿にされていた。

ドイツの医大を卒業している同期は可愛がられ
俺は色物扱いで孤立していた。年も下だしな。

話しかけられることもなく・・・何も教えてもらえず
ずっと医師の後ろについて廻っていた。

日勤と夜勤の繰り返し。雑用ばかりさせられた。
家に帰ったら医学書開いて勉強ばかりしていた。
仕事は医師の行動をとにかく見て真似ていた。

同期の連中も少しづつ話しかけてくるように
なっていたが俺は付き合いが悪かった。

それから数か月してカナダに派遣された。
多様性の受け入れでまず俺が飛ばされた。

別にどこでもよかった・・・
そんな俺を可哀想だと思ったのか
同期の連中は送別会を開いてくれてた。

カナダの病院に着くと病院からの迎えがきていて
有名な先生の下につくことになった。

そこで3か月ほど働いた。
驚いたよ・・・金を持っている人の相手と
持ってない人に対しての医療差別の扱いに。

先生は俺に教えてくれた。
全員を救いたいが、全員を救うことはできない。
だから優秀な医師を増やして助けられる人を
増やしている。と。

さすがに共感したよ。綺麗ごとで言ってるんじゃ
なかったからな。先生は。

金持ってなくてもボランティアでやってたしな。
そこへ俺も一緒に入って手伝ってたよ。

色々とヘマもした。学んだ事と違うこともあって
修正していった。

先生は驚いてたな。なんでそんな腕を
持ってるんだって。

失敗してるのにな。見て学んだだけって
言っても理解してくれてなかったな。

ずっと仕事と医学書読んで過ごしてた。
ここで実技と知識のずれを大きく修正したな。

次はフランスへ飛ばされた。3か月ぐらい。
フランス人は働かないから驚いたな。

同じように先生の下で働いてた時
ある日言われたよ・・・

君は危ういって。もっと気を抜いて生きてほしい。
カナダの先生からもそう伝達があったそうでな。

フランス人の生き方を見てほしい。
少しでももっと気楽に生きていってほしい。

勉強と医学への集中が異常すぎて怖い。
もっと若者らしくエンジョイしても君は素晴らしい
医師になる。って何度も言われた・・・

ありがたかったけどな・・・
でも俺は変えることはなくそのままフランスで
研修を終えて次のイギリスへ行った。

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